【海と雪のサムライ】
幕末エピソード6と参りましょう。
参る前にはおさらいと参りましょう。
井伊さんの「許可ナシ条約」に、みんなちょー反発。
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斉彬さん反撃しようとするけど、死んじゃう。
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水戸藩に「戌午の密勅」が下る。
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井伊さん「なんだよそれ!」と怒り、"安政の大獄"開始。
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安政の大獄から西郷さんと月照さん薩摩に逃げるけど、月照は拒否られる。
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二人海に飛び込んじゃう。西郷さんだけ助かる。
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松陰センセー、安政の大獄の犠牲に。
『批准(ひじゅん)』て聞いたことあります?
国の代表者が決めてきた条約に、国家が「よし! これで決定!」って認める最終的な手続きを『批准』て言うんです。
スマホ契約するとき、本体ゲットして、支払い方法も決めたけど、書類にサインしないと使えない——あんなようなものです(規模違いすぎるけど)。
日米修好通商条約のラスト手続きのために、アメリカはワシントンに向かうことになる日本。
外国奉行(外務省ってノリかな)の人たちは、ポーハタン号(アメリカの船)に乗せてもらいます。
外国奉行「お願いします!人数多いって言われたんで、削って77人です!」
ポーハタン号艦長「多いんだよなぁ多い。まだ多いんだよ」
使節団77人が乗り込み、太平洋を渡ります。
それとは別に、「ポーハタン号の護衛や、万が一の事故に備え、もう一隻、船出しといた方がいーんじゃねーか?」ってことになり、『咸臨丸(かんりんまる)』という船を出動させることに。
これに乗り込んだのが
勝海舟(勝さん、このとき艦長)
ジョン万次郎(すでにアメリカを知ってるあの人)
福沢諭吉(ご存知一万円札のあの人)
という有名人たちです。
この船に乗り込むのは日本人だけ。
船+日本人だけ+渡米=初体験。
そう、咸臨丸の航海には、ポーハタン号の護衛のほかに、初めて日本人の力だけで大海原を渡り、アメリカにたどり着くという、大きな目的が詰め込まれていたんです。
勝海舟「とうとう……とうとう日本人だけで太平洋を……ついにこの日がやってきた(感動)」
司令官「えー、日本人だけだと不安なんで、ブルックさんたちアメリカ人の方々にも乗っていただくことにします」
ブルック「ブルックです。いい船旅にしましょう」
勝「…………誰だテメェこら(怒)」
アメリカ人も乗っちゃいました。
ブルックさんはじめ、アメリカ人の乗組員が何人も乗船して、日本人の夢、爆破。
ここから勝さん、ちょースネてしまいます。
しかも、いざ出航してみると、
勝「………オロロロロロロロロロ……」
船酔いで吐いてました。

でも、勝さん以外の日本人乗組員はしっかりと
乗組員「オロロロロロロロロロ……」
吐きまくってました。
出航してまもなく、海が大荒れ。
ジョン万次郎さん、福沢諭吉さん以外の日本人、ちょーぜつな船酔いで全員死亡(たとえね)。
さらに、日本人はまだ船の扱いに慣れておらず、実質的に船動かしたのはブルックさんたちだったそうです。
アメリカの人たち、いてくれてよかった(デーオー)。
(艦長として機能してないのに文句ばっかり言うし、航海の途中に「ボートおろせ! オレは帰る!」とかわがままを言ったらしい勝さん。
福沢諭吉さんの目には、「なんだコイツは……」って感じに映ったらしく、ここから2人、メチャ仲悪くなります。
さらにこの航海にはこんなエピソードも。
ブルックさんは、"実際にはアメリカ人たちが船を動かした"ことを日記に書いていました。
ですが、開国したばかりの日本がバカにされないよう、日記の公開を自分の死後50年間は禁止したり、部下にも固く口止めしたそうです。
なので、この船旅の真実がわかったのは1960年代になってから……。
なんて泣ける話なんでしょう。
ブルックさん、最高すぎる)。
やっとの思いで、咸臨丸とポーハタン号はサンフランシスコに到着。
勝「アメリカだーーーーー!!!!!」
サムライたちがアメリカの土を踏みしめ、日本が国際化へと歩き出した瞬間でした。
勝さんたちがグローバルな展開をしてる一方、日本でローカルな大事件が起こります。
その中心にいるのはもちろん、
大獄マシーン・井伊直弼。
"安政の大獄"をまき散らした結果、多くの人からエグい憎しみと、ドデカい反発を爆買いした井伊さん。
特に、家老や藩士を切腹&死罪にされてる水戸藩の怒りのボルテージは、とんっ……でもないことになっていました。
水戸藩「許さねぇ……井伊…ゼッテー許さねぇ!!!!!!」
しかし、井伊の赤鬼はそんなのおかまいなし。
怒りと悲しみの水戸藩に対し、
井伊直弼「『戌午の密勅』はお前らが持っていていいような代物じゃないんだ。
前から言ってる通り、こちらに渡せ。
期限までに返せないようなら、身分も領地も、ボッシューする」
水戸藩「まっすぐなパワハラ!!!!」
なんと、『戌午の密勅』を返せと脅してきたんです。
ハラワタが煮えくり返って、いい感じのトロみが出てる水戸藩。
でも、命令に従わなければ藩の存続が……。
水戸藩「幕府に……密勅を返そう」
もうしょうがねーよの空気が大多数を占めますが、一部がこれに猛反発。
返さない人たち「渡すわけねーだろ!!もし返すとしても、幕府じゃなくて、朝廷に返すわ!!」
やがて、水戸藩内部はバチバチの大ゲンカに発展し、斬り合いまで起こる事態に。
お互い一歩も引かない中、ヒートアップする"返さない人たち"の一部は、恐ろしい答えにたどり着きます。
返さない人たち「おい、あいつ殺そうぜ」
井伊直弼暗殺計画。
鼻水出ます。ヤバすぎて。
今で言うなら『総理大臣暗殺計画』です。
止まりません、鼻水。
さらに、井伊を殺ってやると意気込んだのは水戸藩だけじゃありませんでした。
この激ヤバ計画に、薩摩の
精忠組(せいちゅうぐみ)
ってのが加わるんです。
こちら、西郷さんが中心となって結成された、4、50人の若者男性ユニット(このとき西郷さんは奄美大島にセンプク中ねー)。
優秀な人材がそろった精忠組ですが、西郷さんに代わって、中心的存在になったのが、
大久保利通(おおくぼとしみち。これまたちょー有名人)
さんでした。
大久保さんは言います。
大久保利通「オレたちは斉彬様の遺志を継ぐ……井伊をぶっ潰すため、全員で脱藩だ!!!!!」
完全に仕上がってます。
大犯罪(井伊暗殺)のためには、手前の犯罪(脱藩)なんて当たり前。
そして、斉彬さんの遺志(幕府の改革)を実現するためには、井伊の暗殺しかないと思いこんでる……。
視野が15度くらいの状態です。
精忠組「井伊!!!その首洗って待ってろ!!!!!」
しかし、息巻く男性ユニットに、思わぬストップがかかります。
この時、薩摩の藩主は、斉彬さんの甥っ子の
島津忠義(しまづただよし)
って人。
でも、実権を握っていたのは、忠義のパパ(でもあり、斉彬さんの弟でもある)、
島津久光(しまづひさみつ)
という人でした(『国父』なんて呼ばれてたよ)。
そんな薩摩の支配者親子から、精忠組に対して、忠義くん名義のお手紙が届くんです。
『タイミングがきたら斉彬さんの遺志を継ごうと思ってるんだー! それまで、僕のいたらないところを助けて、一生懸命尽くしてくれないかなー! だからー、暗殺行くのやめてーー!!」
自分とこの藩主から、「軽はずみな行動はやめてよ」というお願い。
でも、ダンスボーカルユニット精忠組(違いますよ)は、バキバキに仕上がってるんです。
いくら支配者親子に言われようが、暗殺やめるわけないんです。
大久保「よし!やめよう!」
やめました。
すぐやめたんです。
当時の上下関係からすれば、殿自らが、下っ端の若ぇーヤツらを説得するなんて、異例の出来事。
しかも、手紙には『斉彬さんの遺志を継ぐ』と書かれている。
自分たちと一緒のことを考えてくださってるじゃないか……。
藩主親子から直々の説得、オレたちと思いは一緒……感動がサーティワンアイスのダブルのような重なり方をして、精忠組は、
精忠組「暗殺、やーめた!」
となったわけです(全員じゃ…ないんですけどね)。
ただそれでも……水戸の志士たちが、暗殺プロジェクトを止めることはありませんでした。
井伊直弼抹殺のシナリオは、着実に書き進められていたんです。
襲撃の日時は、すべての大名が江戸城に向かう日の朝に決定。
実行部隊は、水戸志士17名+薩摩志士1人の18名(計画に関わってる人はもっといます)。
当日、配置についた志士は、『武鑑(ぶかん)』を持って、大名行列を見物する田舎の侍を装うことに(『武鑑』てのは大名や役人のプロフィールを書いた、『プロ野球選手名鑑』的な本)。
さらに、自分たちの行為で藩に迷惑がかからないように退職願を書き、すべての準備が整います(水戸藩をやめた浪士(仕えるのやめた人)ってことで、"水戸浪士"って呼んだりするよ)。
そして……
安政7年3月3日(1860年3月24日)
季節外れの雪が降り、ふわりとした大きな結晶が、あたり一面を真っ白に覆いつくす朝。
暗殺計画、実行の時が迫ります。
平静の薄皮一枚下に暴れる鼓動を感じながら、標的を待つ浪士たち。
午前9時
雪の勢いも弱くなった頃、彦根藩邸上屋敷(現在の憲政記念館あたり)から、井伊直弼を乗せた駕籠(かご)が、60人ほどの行列と共に出てきます。
動き出す作戦。
歩みを進める井伊家の大名行列に、1人の男が近づいてきます。
何事かと身構える彦根藩士の元に駆け寄った男の手には、1枚の訴状。
何を訴えたいかは知らないが、直訴するその男を制止しようとした、その刹那、
ヒュッ……
直訴を装った水戸浪士は抜刀し、
ザッ!!!!
目の前の彦根藩士を斬りつけたのでした。
彦根藩士たち「!!」
とっさの出来事に、動きが止まる彦根藩士たち。
脳の処理速度が、目に映る事態を理解しかけた瞬間、
次の衝撃が耳に届きます。
パーーーーーーーン!
井伊が乗る駕籠をめがけ、放たれるピストル。
"襲撃開始"の合図もかねていたこの銃声で、見物人の群衆から、一斉に飛び出す水戸浪士たち。
疾風のような初速で駕籠に向かい、怒涛のごとく彦根藩に襲いかかったのでした。
斬りかかってくる者たちの苛烈で恐ろしい空気に、お供の何人かはその場から逃げ出しますが、残った10数名の彦根藩士は、主君を護るため即座に戦闘態勢へと切り替えます。
しかし、この日の天候が、彦根の侍に災いをもたらしました。
雪のため雨合羽を羽織り、刀の柄や鞘に袋をかぶせていた彦根藩士は、すぐに太刀を抜くことができなかったのです。
初動の遅れから、相手の刀を手で受け止めた者も。
雪の上に落ちてゆく指や耳。
それでも反撃に出た彦根藩士は、水戸浪士と激しい斬り合いを繰り広げます。
鬼気迫る攻防戦の末、護る者が一人、また一人と倒されていき、ポツリと置き去りにされてしまった井伊の乗る駕籠。
水戸浪士たちがすべてを投げ出し、追い求めていたターゲットが今目の前に……。
水戸浪士「かかれーーーーーーーーーー!!!!!!」
ズスッ!! ズスッズスッ!! ズスッ!!!
駕籠を突き刺す、数本の刀。
自らの剣が人の肉を貫いた感触をその手に確かめながら、志士たちは乱暴に駕籠を開け、中に潜む"悪"を、力任せに引きずり出します。
居合の達人だった井伊直弼。
それがなぜ、無抵抗のまま水戸浪士の攻撃を許したのか?
実は、駕籠にむけて放たれた最初の銃弾が、腰から太腿にかけて命中しており、立ち上がることもままならなかったのです。
何本もの太刀を浴びて、瀕死の状態となった井伊。
血にまみれながら地面を這う男の首をめがけ、
薩摩浪士・有村の刀が振り下ろされ、
有村「キィエーーーーーーーーーーーイ!!!!!!」
ザンッ!!!!
男の、息の根は止まります。
――己が信じる道を、粛清という手段で突き進んだ豪胆な政治家……井伊直弼がここに絶命したのでした。
刀の先に井伊の首を突き刺し、勝鬨(かちどき)を上げる有村。
水戸浪士たちは、その声で目的が達成されたことを知り、急ぎその場を離れ逃走。
襲撃の現場には、二度と動かなくなった人間と、
血液が染み込んだ雪が、ただ残っていたのでした。
大勢の目撃者がいる中、幕府のNo.2が殺害された、このとんでもないテロこそ、みなさん1度は耳にしたことがある
という大事件でございます(襲撃は10数分間か、もっと短かったかもなんて言われてます)。
井伊直弼が殺害されたという報告が幕府に届くと、飲んでたお茶を
老中たち「ブハっ!!!!!!」

いっせいに吹き出す老中たち(イメージです)。
老中たち「マジでか!!!? ちょ、どうしよ!!!? おろおろ……おろおろおろおろ」
おろおろとテンパることしかできない連中の中で、老中の一人
さんて人は、冷静に分析します。
安藤「おい……おいおいおいおいおい! 激ヤバだぞ!!
大老をまもれなかったとなると、幕府の威厳は地の底に落ちる……。
それだけじゃない!!
オレたちは、井伊さんを暗殺した水戸藩を処分しなくちゃならない。たとえ浪士がやったこととはいえだ。
ただでさえ、水戸は井伊さんにボロクソにされてんのに、ここでさらに処分加えちゃったら……水戸藩怒り狂って何するかわかんないぞ……。
そして彦根藩。
藩主が跡継ぎ決めてねーのに、イキナリ死んじゃったら、お家断絶って決まりだ(「〇〇家失くすねー」ってこと)。今回のケースはまさにそれ。
家を断絶された彦根の連中は……確実に水戸に復讐する……。
幕府と関係が深い、御三家(水戸)と譜代(彦根)が全面戦争なんてことになれば……
幕府………終わっちゃうぞ……。
さらに今、井伊さんの首は奪われた状態……
それをどこかに晒されたりなんかしたら、尊王攘夷派の勢いがますます強くなり、力のない幕府は……もっともっともっともっと…」
伝える人「申し上げます! 大老の首を奪った薩摩のヤツは、彦根の人に斬られ、その場で自刃(切腹)! で、井伊さんの首、若年寄の遠藤さんのお家にあります!」
安藤「不幸中の幸い!!!! よし……目撃者はたくさんいただろうが、こうなったら……」
安藤さんがひねり出した驚きの作戦。
それは、
安藤「井伊直弼はまだ"生きている"――。ことにします!!!」
です。
たしかに、井伊さんが"生きている"のであれば、最悪の事態を避けられるんです。
まぁでも……死んじゃってっから。
にも関わらず、安藤さんは事実をねじ曲げて、公式発表します。
安藤「えー井伊さんですが、桜田門外で襲われ、大変なケガをされました。ですので、彦根藩には跡継ぎを決めていただきます」
記者(そんなのいねーけど)「井伊さんは桜田門外で首を斬られた。目撃者もたくさんいるみたいですが?」
安藤「各藩からお見舞いの方が来られてるようですし、将軍からもお見舞いの品が届けられてます」
記者「ちょっと聞いてます? なんで亡くなられた方にお見舞いが必要なんです!」
安藤「井伊さんが1日でも早く"ご病気"を治され、政務に復帰される日を……」
記者「最初ケガって言ってたろ! 病気に変わってるじゃないか! なにを言ってるんだ!」
安藤「では、この辺で失礼します……」
記者「ちょっと安藤さん! 素直に認めたらどうです! 井伊さんはもういない! そうなんでしょ! 安藤さん! 安藤さん!!……」
(以上、政治家vs記者のノリでお届けしてみました。)
今も昔も、政治家はちょー強引。
このピンチを乗り切るため、井伊さんはケガから急病にかかり、ゆーっくりと亡くなっていった……ことにされたのでした(井伊さんのホントの命日は「3月3日」ですが、世田谷の豪徳寺にある井伊さんのお墓には「3月28日」となっているのはこのためです)。
ここで少しウワサ話。
井伊さんをヤッた水戸浪士に、暗殺指令を出した黒幕がいるというのです。
それが、井伊直弼のライバル的存在だった、あの
"攘夷おじさん徳川斉昭"
なんてささやかれたりしてるんです……。
で、この半年後、攘夷おじさん斉昭は、心筋梗塞で亡くなるんですが、ホントは彦根藩が暗殺したんじゃないかって言われてたり……。
こちら、どちらも証拠がない、真相は闇の中パターン。
このミステリー、名探偵のあなたは解決できるかな?(は?)
さ、幕府の中、ちょっと変わるよー。
桜田門外の変による大問題をテキパキっと処理した安藤さん。
この人が幕府の最高責任者のような存在になっていくんです(阿部さん→堀田さん→井伊さん→そして安藤さんていう流れっす)。
安藤さんは、井伊さんが進めた"ドギツイ"やり方を否定します。
安藤「今回リストラされる方を発表します!それはこの中にいる…………」
井伊派閥の老中「………………」
安藤「………………………………」
井伊派閥の老中「…………おい! 早く言っ…」
安藤「全員!!」
井伊派閥の老中「全員かい!! なんでジラした!? もてあそぶな!!」
井伊さんの息のかかった老中をリストラ。
逆に、井伊さんにリストラされていた、
安藤「この方に復活してもらいたいと思います! 久世さん!」
久世広周「よっしゃ戻れた!! みんな、これからよろしくな!」
井伊派閥の老中「オレたちゃ辞めんだよ!!」
久世広周(くぜひろちか)
さんて人を復活させ、共に幕府の政治を動かしていったのでした(『久世・安藤政権』なんて呼ばれてたりします)。
ここから安藤さんは、あることを"完成"させるために奮闘するのですが、そこにはデッカい落とし穴が……。
そんな次回の物語に深く関わってくるキーワードは
『合体』です。
ではでは。