歴史の流れを噛み砕いてみた

エンタメ要素をめいっぱい取り入れて、戦国や幕末の流れを、わかりやすく、ざっくりとお届けします。「超現代語訳戦国時代」という書籍も出版してますので、よければご覧ください。

【「御用改めするね」と君が言うキッカケになったから八月十八日はイケダ記念日】

幕末エピソード10をご覧ください。

ということは、おさらいですね。

将軍・家茂ちゃん、京都に行くことケッテー。
 ↓
将軍護るため『壬生浪士組』結成。のちの『新選組』。
 ↓
幕府「5月10日攘夷します」って言う。
 ↓
長州だけ5月10日にちゃんと外国攻撃する。
 ↓
で、仕返しされちゃう。
 ↓
薩摩、イギリスと戦う(薩英戦争)。
 ↓
薩摩とイギリス仲良くなっちゃう。

薩摩はイギリスと戦い、「こりゃ敵わねぇや! 仲良くしよ!」てな感じに方向転換します。
長州も外国たちと戦い……

長州「ガンガン攘夷いくぞぉぉーー!!」

長州はまったく懲りてません。
外国には負けたけど、京都での長州の勢いは健在だからいまだイケイケ(逆に薩摩は京都でハブられてます。気になったら調べてみて! キーワードは"殺人事件"と"田中新兵衛")。
 ただ、そんなイケイケ長州にも大きな不満がありました。

長州「オレたち攘夷したのに、他はどこもやらねーじゃねーか! こっちが外国と戦ってても見て見ぬふりで、幕府も他の藩も後に続かない! こうなったら……攘夷をやらざるを得ない状況を作り出してやる!」

 体の成分が、水と攘夷で構成された
 久坂玄瑞(長州のリーダー的存在)
 さんや、
 真木和泉(長州と行動してる久留米の志士)
 さんは、過激な……それはそれは過激な計画を考えつくんです……。
 その計画のタイトルは、
孝明天皇の……奈良へのお出かけ』
 …………過激か?
 過激です。この"旅のしおり"を見てください。

 孝明天皇、奈良へお出かけ。
  ↓
 神武天皇陵(じんむてんのうりょう。初代とされる天皇のお墓だよ)と、春日大社(神社だよ)で攘夷を誓ってもらう。
  ↓
 攘夷の軍議(戦いの会議)を開いてもらう。

 ………………過激なのか?
 過激なんです。この"計算式"を見てください。

天皇がオフィシャルに攘夷を誓う』+『天皇が軍議を開く』=『天皇自らが戦いの指揮をとる!』
 からの、
『もう幕府は戦いの指揮をとらなくていい!』=『もはや幕府なんていらねーよ!』
つまり、今回のお出かけが意味するのは……

久坂玄瑞「攘夷の戦いをしねー幕府なんて用無しだ! これからは天皇をトップとしたオレたちが攘夷を進めていく!」
真木和泉「幕府はそれに従ってもらうまでだ! それでウダウダ言ってくるようなら…」
久坂&真木「滅ぼす!!」

 ね、過激でしょ。
 孝明天皇の大和行幸(やまとぎょうこう。大和=奈良県行幸=天皇が外出することだよ)と呼ばれるこの行動には、「幕府の存在否定&なんならブッ壊す!」が含まれてたんです。
 計画は、長州仲良し公家の三条実美さんたちによりグイグイ進められ、あとは実行の日を待つばかりとなります。が、ここで1つ問題が。
 この計画をちょーー嫌ってる人がいまして、それが何を隠そう、
 孝明天皇だったんです。

クイズ出題者「問題。孝明天皇は外国人が大っキラいで攘夷をやりたいが、攘夷は……」
クイズ解答者「幕府の仕事だと思っている!」
出題者「正解。自分が戦いの先頭に立つことなんて、まったく……」
解答者「望んでない!」
出題者「正解。重要なのが、基本、孝明天皇は幕府の味方だし、幕府を頼りに思って……」
解答者「いる!」
出題者「正解。だから幕府を倒すなんて、マジで意味がわかりません」
解答者「うん!」
出題者「正解。これらの事から推測するに、孝明天皇が長州や尊攘派に向けた感情は……」

 嫌悪感です——。
 やがて、孝明天皇の思いと、長州へ向けられた怒りの集合体が……。
 シュピーーン!!(効果音です)
 合わさります。

会津藩「幕府を倒すだ? その前にこっちが長州ブチのめしてやるよ!」
薩摩藩「これ以上長州にデカい顔されてたまるかよ!」

 水面下で手を結んだ会津と薩摩(と中川宮(なかがわのみや)さんて皇族)は決めたんです。
「長州にサプライズしてあげよ」って。


 文久3年8月18日(1863年9月30日)
 深夜から早朝にかけ、会津・薩摩によるサプライズの準備が完了。
 スタンバイが整ったところで、

命令する人「三条さん。あんた今から外出禁止だ。それに人と会うのも禁止だ」
三条実美「…………え!?」

 三条さんたち公家に禁止令が……。
 不穏すぎる空気を感じた長州は、御所(天皇の住まい)を見てたまげます。
 ズーーーーーン!!!
 ズーーーーーーーン!!!
 ズーーーーーーーーーン!!!

長州「い!!!!!」

 2000を超える会津・薩摩の兵が、御所の門を守り固めていたんです(ほかの藩もいたよ)。

長州「な、な………なんじゃこりゃ!!」

 アリ一匹くらいなら通れるけど、ハムスターだと絶対通れない厳戒態勢。

会津「長州は『堺町御門』の警備から外された!(御所にあるたくさんの門の警備を、いろんな藩が担当してたんだよ) 御所に入ることも許されん!!」
長州「な……! 聞いてないぞ!!」
薩摩「言ってない! 京都から立ち去れ!!」

 一触即発。
 ピーーーーーーン…………。
 張り詰めた空気を"ツン"とつつけば、大爆発が起こりそうな、瞳だけ交錯する戦い。
 ジーーーーーーー…………。
 長いにらみ合いの中で、長州は考えます。

長州「会津・薩摩を攻撃するのは、御所を攻撃するのと同じことになる。そしたらこっちが、朝敵(天皇・朝廷に反逆するヤツ。つまり完ペキな"悪")……。納得いかねー……!!」

 攻撃!? 退散!? 長州ルーレットはこの2つをいったりきたり。そしてついに……
 ピピピピピピ……ピ…ピ…ピ……ピーーー!

長州「退散だぁーーーー!!」
会津・薩摩「オッシャーーーー!!」

 会津&薩摩のサプライズは大成功を収めたんです。

久坂「三条さん、長州藩まで来てください! ここはいったん引き上げましょう!」
三条「聞いてないぞ!」
久坂「言ってねーし、オレも聞いてねーよ!」

 雨の降り続く中、三条実美たち7人の公卿(くぎょう。エラい公家さん)が、長州藩へ下ったことを
七卿落ち(しちきょうおち)」
 と呼び、京都から過激な尊攘派がいっせいに追い出されたこのクーデターを
 八月十八日の政変
 と言います(脱藩したフリーの志士たちは、まとめて長州藩にご厄介になってます)。
 京都から尊攘派が一掃されたら、

朝廷「みーんなー! "新しい政治"、はーじめーるよー!」

 新たな政治体制と爽やかな日曜の始まり(↑2コめは知りません)。
 朝廷は、京都に幕末オールスターを集めます。
『幕府の若手ツートップ』
  一橋慶喜将軍後見職
  松平容保京都守護職
『ほぼ四賢侯』
  松平春嶽(前福井藩主)
  山内容堂(前土佐藩主)
  伊達宗城(前宇和島藩主)
  島津久光薩摩藩主・島津忠義のパパ)
 このメンバーで、
「"会議"をして政治をやっていこう!」

 というんだから新しい(この「議会とかやってこうぜ!」って考えを"公議政体論(こうぎせいたいろん)"っていうよ)。
 集められた6人は、『参預(さんよ)』って職に任命され、
 参預会議
 と呼ばれる話し合いがスタートします。
 この会議でのテーマは2つ!
『長州について』
 と、
『条約をナシにするなんて絶対ムリなんだけど、天皇は攘夷を望まれてる。うーん……。現実的にできるとすれば『開いた横浜の港をまた閉じる』ぐらいかな……でもどうする?』
 です。
 そして、ある日の会議。

パパ光(島津久光)「では、これまでのみなさんの意見をまとめると、『横浜港は開いたまま』ということでよろしいですか?」
松平春嶽「それが一番でしょうね」
伊達宗城「確かに」
パパ光「よかった。それでは満場一致で…」
一橋慶喜「いや、横浜港は閉じましょう」
パパ光「……あん?」

 1人だけ「横浜閉じる」をブッ込んだ慶喜くん。
 けど……この男も実は、"開国派"なんです。
 では、なぜこのボンボンがいきなりこんなことを言い出したのか、慶喜くんの頭の中をご覧ください。

慶喜「ここで『横浜閉じよう!』って主張したら、朝廷を味方につけることができる。フフフ。それにだ……老中たちからあんなこと言われたら”閉じる”って言うしかねーよなぁ……(ここからさらに回想シーン)。
老中『慶喜さん、ちょっといいですか。横浜港は閉じてくださいね!』
慶喜『え!? ちょっと待ってください、みなさん開国には賛成のはずじゃ……?』
老中『賛成です。賛成ですが、問題はリーダーシップを取ってるのが、”薩摩”ってところです。ついこの間まで”長州"のヤツらにいいように扱われて、今度は"薩摩"の主張に乗っかる……これじゃ幕府に決定権がないみたいでしょ!』

慶喜『だ、だけど……』

老中『薩摩が"開く"なら、幕府は"閉じる"です! 聞き届けて頂けないなら、私たち……老中を辞職します!」
慶喜「えぇ!? ちょっと待っ……」
  (回想おわり)
この国の未来より、自分たちのメンツの方が大事ってか……。なんて連中だ! でも辞められるのは困る! "閉じる"でいこう!」

 こんなことがあったから、慶喜くんは「横浜港を閉じる」側にまわったんです。

春嶽「慶喜くん! 君もこの間まで開国を……」
慶喜「変わりました」
パパ光「………そもそも幕府が勝手に開国しといて、今度は港を閉じましょう……テメーの人生閉じてやろうか?」
慶喜天皇のご意思を尊重したまでです……やってみろよポテトペアレント

 とにかく、パパ光と慶喜くんが大モメ。
 見かねた中川宮さんが、「仲良くいこうぜ~」とお酒の席を設けたのですが、酔っ払ってベロンベロンになった慶喜くんは……、

慶喜「中川宮さん。ころはんにん、ころ、この3人(パパ光、春嶽、宗城)はねぇ! この世でトップのこれ以上ない大バカ! そむりえ……悪知恵しか働かないひねくれ野郎ですよ! こんなヤツらとろーりんひる……将軍後見職、の、私を、一緒にしないでほしい!」
中川宮「ちょ、ちょっと! ……(3人の方をソッと見てみる)」
3人「(キレすぎて、青い炎)」
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 暴言吐いてKAIGI NO OWARI(「天下の大愚物、大奸物だ!」って言ったらしいっす)。
 お互いの意見合わねーし……その意見を聞く朝廷は優柔不断だし……

参預たち「やってられっかーーーー!!」

 全員『参預』辞めます(たった2ヶ月くらいで『参預会議』しゅーりょー)。
 以上、『そして誰もいなくなった 京都編』でした。
 と、思ってたら……

慶喜「やっぱ、京都の政治オレやるよ」

 トラブル振りまいたヤツがまさかの残留。
 しかも、『将軍後見職』辞めて
 禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく。"禁裏"ってのは御所のことだよ)
 っていう、スゲー"京都寄り"な役職に就任。
 そこに、容保さんと、その弟くん
 桑名藩主・松平定敬(まつだいらさだあき)
が加わって、3人によるニューシステム
 一会桑政権(いちかいそうせいけん。"一橋"、"会津"、"桑名"の頭文字からだね)
 ってのが出来上がり、このあとの京都をギュウジっていくのでした。

 エピローグ。
 幕府から離れ、独自の政権を築いた一会桑。
 かたや京都を追い出され、長州に引っ込んだ尊攘派は、政治や権力を遠い目で見ながら、みんな仲良くひっそりと暮らしましたとさ——。

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 ウソです。

尊攘派「京都戻るぞおらぁぁぁ!! またオレらの時代を取り戻すためになぁぁぁ!! 勢力挽回だ!!」

 エピ(ローグ)るわけなかった。
 尊攘派は京都に舞い戻り潜伏。復活の機会を伺い、モゾモゾと蠢いていたんです。
 でもそんな動きすると、

近藤勇「不穏すぎるだろ」

"あのグループ"がソッコー反応。
 ダンダラ模様で白く染め抜いた浅葱(あさぎ)色の羽織。
 掲げる旗には『誠』の文字。
 鉄の掟で統制された剣士集団。

 新選組(『八月十八日の政変』のあとに、『新選組』の名前をもっらてるよ)。
 危険分子を排除するため、京都の町を捜索する彼らのアンテナに、『桝屋(ますや)』という商人が引っかかります。

新選組「えーと、店の中にある数々の武器、長州との手紙のやり取り……なにこれ?」
桝屋主人「あのー…犬がですね……」
新選組「うそつけ! ちょっと来い!」

 局長近藤勇、副長土方歳三の拷問により、桝屋主人の正体は、尊攘派志士 古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)ということが発覚。
 さらに、古高の口から驚くべき計画が語られます。

古高俊太郎「………強く……激しく風が吹く日を選び……御所に火を放つ」
近藤&土方「!!」
古高「……その混乱に乗じて…中川宮を幽閉し(どこかに閉じ込める)、一橋慶喜松平容保を暗殺したあと……」
近藤&土方「…………」
古高「孝明天皇を長州へ連れ去る——」
近藤&土方「………ムチャクチャか!」

 驚愕でした。
 最初から最後まで全部悪いこと言ってるから。
 一つ一つのパンチが強すぎる、史上最悪のギャラクシークーデターです。
 五感がフル動員で警鐘を鳴らしている。
 尊攘派の集会場所を見つけて、計画を未然に阻止しなけりゃ……
 何もかもが終わる——。

 新選組総員、出動。
 近藤と土方は探索チームを2手に分けます。
 鴨川の西を近藤隊10名。東を土方隊24名。
 焦燥に駆られながら、旅宿を一軒一軒シラミつぶしにあたっていく2つの隊。
 近藤隊が池田屋という宿に着いたとき、その瞬間は訪れます。
 沖田総司永倉新八藤堂平助と共に、池田屋の中に入る近藤(他の隊士は屋外で見張り)。

近藤「主人はいるか! 御用改め(家宅捜索)だ!」

 近藤の言葉は池田屋主人の虚を衝き、彼から一切のカムフラージュを削ぎ落とします。
 焦った主人が"上"に放った言葉は、今後の展開を決定づけたのです。

池田屋主人「みなさま! 旅客調べでございます!!」

 近藤たちは瞬時に悟ります。
 敵が……2階にいる!!
 目一杯開いた瞳孔を携え、裏階段を駆け上がる近藤と沖田。
 思いが先にたどり着き、体が遅れてやってきた2階の奥座敷には、20人以上の尊攘志士が抜刀して待ち構えていたのでした。

近藤「御用改めだあぁぁ!!! 歯向かえば容赦なく斬り捨てる!!!」

 即座に状況を把握した志士たち。
 近藤の絶叫が合図となったかのように、大多数の志士が裏庭に飛び降りその場から逃亡。

沖田「ここはオレが引き受けた! 近藤さんは下へ!」

 近藤は沖田の言葉ですぐさま階下へ向かいます。

志士「ぅああああーーーー!!」

 ザンッ!!!
 襲ってきた志士を、難なく斬り捨てる沖田。
 たじろぐ志士たちに次の動作を仕掛けようとしたその時、

沖田「ウッ…クフッ…ぅ……ブハッ!!」

 肺結核を患っていた沖田は血を吐き、その場にうずくまったのでした。
 残っていた志士は、その隙に階下へと逃れます。
 一方、グルンと場面かわり、一階での闘争。
 額を割られた藤堂は、流れ出る血が目に入り、戦闘が困難な状態に陥っていました。
 数人の敵を斬り倒した永倉が助けに入りますが、その永倉も目の前の敵に押され始めます。
 劣勢が続く2人。最悪の結末がよぎりかけたその刹那、
 ズシャッ!!!
 沈んで行く志士の向こうに見えたのは、裏庭から仲間の危機に駆けつけた、近藤の姿でした。
 沖田と藤堂は戦闘を行える状態ではなく、近藤が手にする刃はボロボロ。
 永倉は左親指を負傷した上、刀も真っ二つに折れています。
 戦況は最悪。だが、終わるわけにはいかない。

 自分たちに課された使命はなんだ? 
 目の前の"悪"を駆逐してこその新選組
 貫くべき信念は今、この瞬間にある。
 ここで終わるわけには……こんなところで終わるには……いかない……!!

土方隊「近藤さん!!!!!!」

 絶体絶命の近藤隊の前に現れたのは、土方率いる別働隊。
 新選組、完全復活。
 そこから間もなく諸藩の兵士たちも到着し、池田屋をグルリと囲みます。
 人数を得た新選組は息を吹き返し、残っている志士を次々と捕縛していったのでした。
 尊攘派の野望を打ち砕き、新選組の名前を一躍有名にした、これが世に言う
 池田屋事件
 です(大まかな流れはこんな感じって言われてるけど、池田屋事件の内容や人数には諸説あります。シンプルに電気ないから暗くてよくわかんないもんね)。
 この騒動で、
 宮部鼎蔵(松陰のお友達)
 吉田稔麿長州藩松下村塾四天王の1人)
 望月亀弥太(もちづきかめやた。土佐藩
 など、尊攘派の優秀な人材が帰らぬ人に。
 仲間たちの悲劇を知った長州藩、一言で表せば、"爆発"するんです。
 その火の粉が向かった先はもちろん……。

 ここから、長州の本格的な"大転落"が始まります。